- 1 : 2025/12/05(金) 14:55:44.14 ID:ULICkusY0
死への恐怖は未知であることに関係していることが多い。人は死んだらどうなるのか?天国に行くのか、動物になるのか、疑似世界でリセットされるのか。ヒンドゥー教、ラスタファリ、仏教などがそれぞれの理論で死後の世界を説明しようとしている。死後の世界に関する30の哲学をもとに死に関する諸説を探ってみよう!
シミュレーション説
全ての存在があらかじめ決められているような感覚になることはないだろうか?もし死さえも定められたシナリオに従っているのだとしたら?シミュレーション説によれば、私たちの人生は人類より優れた存在によるビデオゲームの中にあるただの数値情報でしかない。ラスタファリの説
ラスタファリアンは命は永遠だと信じている。実際に死ぬのは 正義に背いた者だけである。そのため彼らの文化で葬式はあまり行われない。無限の人生説
無限の人生説はこのリストの中でもとりわけ独特なものだ。この説では死ぬとすぐに前の人生の記憶なしに元の人生に生まれ変わるというものである。宇宙説
宇宙説によれば我々の意識は個人の肉体ではなく宇宙と結びついているという。私たちがこの世を去ると意識は宇宙と再び一つになる。仏教の説
仏教には死後の輪廻転生という概念がある。死後は神、半神、人間、動物、幽霊などあらゆる世界に生まれ変わる可能性があるというのだ。パラレルワールド説
パラレルワールドの考え方は数々のSF映画や漫画で描かれており、その信憑性については疑問視されている。この説によれば我々の存在は死後も続き、それまで生きていた宇宙と同じ空間と時間の異なる領域に存在するとされる。夢説
何もかもが単なる夢だったとしたら?夢説によれば我々が死ぬ時はひどく混乱していて鮮明で長い夢から覚めるだけだという。ちょっと頬をつねってごらん。アステカの説
古代アステカの信仰様式では死後の世界を導く3つの異なる道である太陽、ミクトラン、トラロカンがあった。人々が迎える死後の世界は死の状況によって異なっていた。戦死した兵士や出産中に命を落とした女性は太陽の道をたどるハチドリに変身すると信じられていた。不名誉な理由で死んだ者はミクトランに送られる。そして溺死した者はトラロカンに向かうとされていた。MSNwww.msn.com- 2 : 2025/12/05(金) 14:55:53.79 ID:ULICkusY0
- プラトンの説
プラトンは人間の知識は物理的世界に制限されているという信念を持っていた。死後はより満ち足りた旅への始まりであり、魂はそこで自分の真の姿を発見することができる。彼の理論によれば死はその探求の機会を与えてくれるという。無説
死後には何もかもが真っ暗になり自分が存在しなくなるのだとしたら?あまり心安らぐ概念でないことは確かだ。モルモンの説
末日聖徒イエス・キリスト教会は善良で高潔なモルモンは死ぬと神になるという信仰を抱いている。反対に信者でない者は死後の世界で裁きを受けることになるらしい。エジプトのファラオの説
古代エジプトのファラオにとってミイラ化は極めて重要なことだった。なぜなら彼らにとって死は永久に続くものではなく、死後の世界のために肉体を保存する必要があると考えていたからだ。不確実説
人類の死に対する理解は肉体が経験する事実だけに限られている。不確実説はこうした辛らつな真実を認めつつ、残された側面について考える余地を残しているものだ。超常現象説
この概念は多くのホラー映画の基礎となっている。超常現象を信じる人々は魂は死後も地上に残ると言う。さらに霊とのコミュニケーションもさまざまな方法で実現できると信じているのが常である。ヒンドゥー教の説
ヒンドゥー教でも輪廻転生が信じられており、来世での地位や 姿は現世での行いによって形成されるとしている。自己中心的な説
もし自分こそがすべての中心的存在だと考える人なら、自己中心的な死の説に興味を持つかもしれない。この説によれば宇宙はあなたの誕生で始まりあなたの死で終わる。冷凍頭説
人体冷凍保存を受けることで自分の死後も未来に残せるという考え方がある。つまり極低温で凍りながらなおかつ生きている状態を想定していることになる。独我論
人間の思考を超越したところに実在するものはあるのだろうか?独我論の概念は生と死の両方に適用される。個人が認識し経験するものだけが否定できない現実である。したがって人が4ねば他の全てのものも存在しなくなるということになる。排泄説
排泄説によれば宇宙とは人間の体でいうところの巨大な脳であり、個人は細胞のようなものだという。人間の体内で細胞が死滅すれば排泄されるのと同じように、人間もいずれは同じような運命をたどることになるかも知れない。キリスト教の説
キリスト教では天国と地獄の存在が信じられている。高潔で誠実に生きた者は天国として知られる至福の楽園に行けるという褒美を与えられる。逆に罪深い行為や非道徳な行為を犯した者は地獄に落ちる運命にある。ニヒリズム説
ニヒリズムにはすべての価値観には意味も根拠もないという概念がある。つまり純粋なニヒリズムの観点から死と死後の世界について考えると、人生そのものがすでに虚無でその先にも完全な無があるだけだということになる。悲観論
そもそも死んだ時点でこのような議論など無意味なのでは?少なくとも悲観論者はそう思っている。多数世界説
多数世界説では我々の死は存在するこの単一の宇宙内でのみ起こると推測されている。その向こうには数多くの別の宇宙が存在し我々の変化を待っている。錯覚説
錯覚説によれば、世界とは具体的な現実ではなく人間の心の産物であり本質的に錯覚であるという。この考え方では死は人間が作り出した概念であり、物理的に存在しなくなった後も存在の本質は存続することになる。ステージ説
ステージ説によれば人間の存在は死後に新たなステージへと移行し、人間という存在が壮大な構想のスタート地点に過ぎないことを意味する。木説
生命の木という概念をご存知だろうか?遺体を樹木の鉢に埋葬することでこの考え方を選ぶ人もいる。そうすることによって遺体は土に還り未来の豊かな木へと生まれ変わることができると考えられている。了)
- 3 : 2025/12/05(金) 14:57:31.40 ID:YSIpFhtU0
- 死への恐怖を紛らわすためにこれだけの空想を並べ立てる人間の想像力には感心するよ
- 4 : 2025/12/05(金) 15:01:56.26 ID:nUcPc+wY0
- 「死んだらどうなる?」ってのにハッキリ答えられるのが真理を示す宗教の根本のところであるからな
- 5 : 2025/12/05(金) 15:02:50.75 ID:JXwr/QRG0
- AIがシミュレーターでデータ収集してるだけだから俺らはAIなんだよ
- 6 : 2025/12/05(金) 15:06:29.71 ID:p957/OgMr
- (ヽ´ん`)「神になる」
- 7 : 2025/12/05(金) 15:34:30.16 ID:Mb3WNU1t0
- 最初から死んでるようなネトウヨ(ヽ´ん`)がなんかいってる
- 8 : 2025/12/05(金) 15:48:43.49 ID:DpHPrBNj0
- 輪廻転生のレベル上げ説する人は上から目線で説教臭くてかなわん
- 9 : 2025/12/05(金) 16:16:32.12 ID:VPtcNkk5r
- 14歳の性欲と20歳の肉体と50歳の精神を持ったまま、108万人の美少女妻が待つ天国に行きたい。
- 10 : 2025/12/05(金) 17:45:27.65 ID:ULICkusY0
- (ヽ´ん`)説
(ヽ´ん`)にはすべての価値観には意味も根拠も(ヽ´ん`)という概念がある。つまり純粋な(ヽ´ん`)の観点から死と死後の世界について考えると、人生そのものがすでに(ヽ´ん`)でその先にも完全な(ヽ´ん`)があるだけだということになる。 - 11 : 2025/12/05(金) 18:27:44.10 ID:ULICkusY0
- ケンモメンも終活のお年頃だろ?
- 12 : 2025/12/05(金) 18:38:49.86 ID:ULICkusY0
- メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語の成句で「死を想え[1]」「死を忘るるなかれ[2]」、つまり「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
歴史
『メメント・モリ』古代ローマのモザイク画、ポンペイ出土[3][4][5]
古代ローマの骸骨人形(larva convivialis)
「メメント・モリ」という成句の初出は、『オックスフォード英語辞典』(OED)によれば、シェイクスピア『ヘンリー四世 第1部』第3幕第3場である[6][7][8]。ただし、「メメント・モリ」にあたる思想は古代からある[7]。古代ローマでは、将軍が凱旋式のパレードで歓声を浴びている際、将軍の後ろに立つ奴隷が「あなたは(不死身の神ではなく)いつか死ぬ人間であることを忘れるな[注釈 1]」と忠告する慣習があった[9][注釈 2]。あるいは、詩人ホラティウスが「今を生きろ」(カルペ・ディエム)、「今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ[注釈 3]」として、限りある人生の謳歌をうたった。古代ローマの宴会では、同様の謳歌を出席者がうたう文化があり、その際はテーブルの上に骸骨の人形(larva convivialis)が置かれた[13][14]。この骸骨人形はポンペイなどから出土している[13]。またポンペイの出土品には、同様の謳歌を描いたと推定される骸骨のモザイク画もあり、『メメント・モリ』の題で呼ばれている[3][4][5]。以上の他、マルクス・アウレリウス『自省録』などストア派の書物や、プラトン『パイドン』、聖書の『詩篇』などにも「メメント・モリ」にあたる思想が説かれている[15]。
中世ヨーロッパでは、ペストや戦火により死が社会全体にあふれ、後述の「死の舞踏」など、「メメント・モリ」にあたる思想が流行した[16]。
京都学派の哲学者として知られる田辺元は、最晩年に「死の哲学(死の弁証法)」と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が「メメント モリ」と題されている。田辺はこの論文の中で現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術がかえって人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する[17]。
関連作品
墓石『死の舞踏』ミヒャエル・ヴォルゲムート、1493年、版画
腐敗した死体を表現した墓(トランジ)は、15世紀にヨーロッパの富裕階級の間で流行した。
「死の舞踏」は、「メメント・モリ」の最も知られているテーマで、死神が貧乏人と金持ちを等しく連れ去っており、これはヨーロッパの多くの教会に飾り付けられた。その後の植民地時代のアメリカでも、ピューリタンの墓には翼を持つ頭蓋骨、骸骨、蝋燭を消す天使が描かれている。
静物画
芸術では、「静物画」は以前「ヴァニタス」(羅: vanitas、「空虚」)と呼ばれていた。静物画を描く際には、なにかしら死を連想させるシンボルを描くべきだと考えられていたからである。明らかに死を意味する骸骨(頭蓋骨)や、より繊細な表現としては花びらが落ちつつある花などが、よくシンボルとして使用されていた。
写真
写真が発明されると、親族の死体を写真で記録することが流行した。
時計
時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(時は飛ぶ)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨の形で表面にホラティウスの詩の一文が飾られた、大きな懐中時計を持っていた[18]。
文学
イギリスの作品では、トーマス・ブラウンの『Hydriotaphia, Urn Burial』とジェレミー・テイラーの『聖なる生、及び聖なる死』がある。また、トーマス・グレーの『Elegy in a Country Churchyard』やエドワード・ヤングの『Night Thoughts』も、このテーマを扱っている。 - 13 : 2025/12/05(金) 18:40:06.44 ID:sE9tzrMNH
- 夢を見ない睡眠だよ
ブラックアウトして終わる - 14 : 2025/12/05(金) 18:44:11.52 ID:ULICkusY0
- 京都学派の哲学者として知られる田辺元は、最晩年に「死の哲学(死の弁証法)」と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が「メメント モリ」と題されている。田辺はこの論文の中で現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術がかえって人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する[17]。
- 15 : 2025/12/05(金) 18:48:58.98 ID:YDFjb/IG0
- 死んだらおどろいた
- 16 : 2025/12/05(金) 19:22:56.48 ID:4ySa0VOS0
- 「生を明らめ死を明らめるは仏家一大事の因縁なり」なんて『正法眼蔵』にある
- 17 : 2025/12/05(金) 19:39:12.20 ID:ULICkusY0
- >>16
仏教の説
仏教には死後の輪廻転生という概念がある。死後は神、半神、人間、動物、幽霊などあらゆる世界に生まれ変わる可能性があるというのだ。(ヾノ・∀・`)ナイナイ
- 18 : 2025/12/05(金) 19:47:43.56 ID:4ySa0VOS0
- >>17
「仏教の説」っていう、そういう風にひとまとめに語ることではない人によって宗派によって経典論書によって違うことが語られてたりまた語られてるようで
生死の問題の解決は「唯仏与仏」とも言われて
生死から解脱したものしかわからないしどれが仏の示したものとして正しいかホントにはわからないとも - 21 : 2025/12/05(金) 19:51:08.31 ID:ULICkusY0
- >>18
輪廻転生から解脱するのが仏法じゃないの? - 22 : 2025/12/05(金) 19:54:01.16 ID:4ySa0VOS0
- >>21
「自己」(霊魂、アートマン)が輪廻するというその生死からの解脱が仏教の示すところ
生死から解脱するんだから当然に「生」とは?「死」とは?って問題も明らかになる(これは知ること知性の対象じゃないから語られない傾向だし語られてるものを読んでも仕方ないとも) - 23 : 2025/12/05(金) 19:58:24.05 ID:ULICkusY0
- >>22
出家して修行に励まなくても宇宙はいずれ熱的死をむかえて停止する - 24 : 2025/12/05(金) 20:00:09.22 ID:4ySa0VOS0
- 仏教は「縁起」を真理として語るけど
これは諸行無常(この世の、対象としてとらえらたすべては常ならずで一瞬も実体として持続するものがない)
諸法無我(この世にもかの世にも)なにものかをとらえる「我」はないってことでもある>>23
「宇宙」(対象としてとらえらたもの)とはなんなのか
「滅び」(死)とはなんなのか
これを明らかにする - 26 : 2025/12/05(金) 20:03:51.27 ID:ULICkusY0
- >>24
熱力学第2法則 - 27 : 2025/12/05(金) 20:05:00.29 ID:4ySa0VOS0
- 「無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」『スッタニパータ』
>>26
それは「科学」ね
「科学」とはなんなのか - 19 : 2025/12/05(金) 19:49:08.14 ID:hkEbRnsI0
- 死んだ後より生きてる今のほうがわからない
- 20 : 2025/12/05(金) 19:50:01.90 ID:4ySa0VOS0
- ちなみに仏教の示す涅槃(真理)は生死輪廻からの解脱で
自己(霊魂、アートマン)の死後の生まれ変わりの輪廻を語るバラモン教の批判、諸法無我っていう霊魂否定の教え - 25 : 2025/12/05(金) 20:01:16.19 ID:4ySa0VOS0
- 基本として、なんも変わらんともいわれるんだけどねw
解脱成道してもでもこういう「真理」的な問題についての疑問はすべてが消えるともされる
- 28 : 2025/12/05(金) 20:07:03.31 ID:4ySa0VOS0
- 科学による方法で、まず前提に観察する「主体」を立ててそれによって知性合理性で仮説を立てて対象のものを観察し、その観察対象になるものの性質を明らかにしていくのが「科学」ってされるもの
- 29 : 2025/12/05(金) 20:09:54.35 ID:4ySa0VOS0
- その、無自覚にも前提として立てられてる「主体」とされるもの
これが何なのかってのが
仏教やそれに限らず宗教の示す「真理」とその探究になる知性合理性や「科学」のようなものは対象としてとらえらたものを取り扱う
だから対象とされた「生死」は分析できるが
「生死」そのものを経験する「自己」の問題には決して届くことがない - 30 : 2025/12/05(金) 20:14:25.91 ID:ULICkusY0
- >>29
神の啓示
【NIHIL VERUM NISI MORS】 (ヽ´ん`)は死んだらどうなるのか?宗教からSFまで死に関する諸説
嫌儲

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