【歴史】申し訳ないけど、邪馬台国は畿内以外ありえないよ。卑弥呼=百襲姫説がやっぱ正しい…

1 : 2022/10/04(火) 01:57:09.71 ID:92fJg+N60

◯=近似 ◎=酷似 △=微妙

卑弥呼[魏志倭人伝]
◯①倭国大乱を収めるために王として立てられる
◎②鬼道(シャーマニズム)を用いる
◎③夫はいない
◎④非常に高齢
△⑤弟がいて国を治めるのを助けている(崇神は弟とされていないため“微妙”)
△⑥卑弥呼の死後、新たに男王を立てたが国中が不服で互いに殺しあった
◯⑦卑弥呼の墓:直径百余歩(約150m)

百襲姫[日本書紀崇神紀]
◯①多発する災害、疫病を静めるために登場
◎②巫女として大物主が神憑りする
◎③夫はいない
◎④崇神天皇の大叔母
△⑤将軍の反乱を予言(笑)。崇神に忠告し、崇神が反乱軍を返り討ちにする。(崇神は弟ではないため“微妙”)
△⑥崇神天皇は畿外へ四道将軍を派遣し征伐を開始する
(確かに百襲姫没の記事自体は征伐より前に置かれているが、没年に関する記載がないので、畿外征伐との先後が断言できず“微妙
”)
◯⑦百襲姫の墓と見做される[宮内庁治定]
箸墓古墳の規模:
墳長278メートル
【後円部】径約150メートル
高さ約30メートル

これだけ似てりゃ、同一人物だろ
https://mainichi.jp/articles/20220131/k00/00m/040/041000c

2 : 2022/10/04(火) 01:58:44.77 ID:92fJg+N60
日本書紀は天孫降臨から皇室支配が連綿と続いてきたって体裁を取っている
だから中国史書に記載されてる「倭国大乱」を書けなかった
代わりに、「国民の半数が死に絶えるよあう疫病や災害が多発した」と書いたってところだな
4 : 2022/10/04(火) 01:59:41.45 ID:kSJkjIbe0
そうですか。じゃ畿内で。皆さん畿内だそうです。
5 : 2022/10/04(火) 02:00:27.62 ID:92fJg+N60
倭迹迹日百襲姫命には子供も夫もいなかった。
天皇家を万世一系であるとしたかった日本書紀の編者にとって
祭祀しかしておらず身寄りもない彼女がヤマト連合最初の統領で、天皇直系の祖先たる崇神が仕える形だった(助けて国を治めていた男弟=事実上の権力者)というのは到底受け入れざる事
加えて中国に朝貢していたなんてとんでもない

よって倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)としての活躍は伏せられ、巫女として活動した皇族の一人に格下げされてしまったと考えるのが自然だ

6 : 2022/10/04(火) 02:00:41.02 ID:iK/iYpl10
簡潔に教えてくれ
12 : 2022/10/04(火) 02:11:05.33 ID:92fJg+N60
>>6
百襲姫[日本書紀]=卑弥呼[魏志倭人伝]

実在可能性のある最古の天皇『崇神(ミマキイリビコ)』が、邪馬台国で実権握ってたであろう弟王

で、卑弥呼没後に女王になった台与(トヨ)は崇神の娘である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)ってわけ

7 : 2022/10/04(火) 02:00:41.94 ID:0Bt3kzIQ0
広島はお好み焼きの話
九州人は邪馬台国の話をするとキレだすよな
8 : 2022/10/04(火) 02:01:57.29 ID:Nn4Y8EAjM
日本書紀って720年だろ(ホジホジ)
30 : 2022/10/04(火) 02:46:48.12 ID:92fJg+N60
>>8
しかも藤原不比等が関わってるから、天皇家のみならず藤原氏にとって都合の悪いこともガンガン消されただろうね
風土記と日本書紀で内容が違うってのもよくある話です
9 : 2022/10/04(火) 02:03:14.08 ID:Ma8og3jj0
纒向遺跡が出た時点でほぼ畿内で決着ついてるよ
九州説ってまともに発掘調査もしてないしもうただの観光資源だろ
10 : 2022/10/04(火) 02:06:41.14 ID:i5/SZkE/a
平原遺跡なんだよなあ
11 : 2022/10/04(火) 02:07:11.99 ID:92fJg+N60
『日本書紀の編者が魏志読んで寄せただけじゃないの?』

ごもっともな疑問ですね
ですがそれも真っ向から否定されますよ
何故か?
日本書紀の編者は卑弥呼と神功皇后を混同させようとしているからです

例えば
日本書紀神功皇后66年の記事で注釈的に倭の女王が中国に使いを出したとの記載
もっと言えば
神功皇后39年に「魏志によれば『明帝の景初3年6月に倭の女王が使いを送り、郡に至りて天子に朝献する事を求めた。太守は役人を派遣し洛陽まで連れてきた』という」とまで書かれている

そもそも日本書紀の主張する神功皇后の在位年を西暦で換算すると170~269年て事になるから、混同させようとしてるよね
んでもって崇神や百襲は紀元前になっちゃう(ありえないけどね)わけだから編者に百襲を卑弥呼と混同させる意思が無かった、むしろ別人にしようとしていた事がわかるね

15 : 2022/10/04(火) 02:14:30.76 ID:1UMNepej0
238年だからなぁ
その当時は日本列島への移住が大規模になってきた時代だし

入れ墨の風習からして沖縄、アイヌ系の集団だと思うよ

20 : 2022/10/04(火) 02:22:29.03 ID:92fJg+N60
>>15
ただ当時の畿内からは黥面土器が出ていない
つまり邪馬台国は渡来系だと思いますよ

倭人の風俗ってのも、九州を見聞した使者が九州の文化即日本全部の文化だと誤解したんだと思うし
実際、魏志倭人伝は伊都国までは方向・里数・戸数や官名の定型項目以外に、見聞記録もあるけどそれ以降は無いからね
伝聞ですわ

16 : 2022/10/04(火) 02:14:34.91 ID:0MHv/LWK0
全部ただの神話
そんなものホルったところで惨めな日本の現実は変わらない
17 : 2022/10/04(火) 02:14:44.32 ID:92fJg+N60
卑弥呼の時代は、丁度実在可能性のある最古の天皇と言われた「崇神天皇」の時代にあたると言われてる

計算方法↓

実在可能性のある最古の天皇〈御間城入彦五十瓊殖〉の没年を戊寅年から258年と推定。
かつ、後の天皇の登場年と外国史書の年号から逆算し在位年数を約20年と推定。
(※古事記の記述をそのまま信じると168歳まで生きて在位年数70年となるが、まあありえないので。)

崇神【238~258】
卑弥呼【生年不明~242年-248年】だから被りますね
崇神が卑弥呼を補佐していた男弟でしょう

19 : 2022/10/04(火) 02:22:05.99 ID:SbTKoZZIM
上級にとって都合が悪い方が正解
21 : 2022/10/04(火) 02:23:47.51 ID:riK2gC41a
左翼は九州って言うよなw
22 : 2022/10/04(火) 02:27:23.95 ID:Ma8og3jj0
邪馬台国でウヨサヨ論はあまり意味がない
「中国に朝貢してた邪馬台国は大和じゃなくて九州の変な小国だったんだ」って言うために後から作られたのが九州説だから
23 : 2022/10/04(火) 02:28:26.38 ID:nsBF1FUJ0
邪馬台国が渡来系であれば
ルーツ的に中国と仲間意識が出来ていいのう
ワシは琉球系だから関係ないけど
27 : 2022/10/04(火) 02:40:04.33 ID:92fJg+N60
>>23
琉球人の祖先とおぼしき人達は日本書紀にも登場します
「阿麻弥人」「海見嶋」と呼ばれる人達ですね

その名の通り元々奄美に居たのですが、だんだん南下して沖縄本島にまで到達
10世紀頃宋日貿易が盛んになりたくさんの商人が天然の良港「那覇」に渡来

富が流入し力をつけた有力者は地元の農民を束ねて小豪族となり、石垣で囲まれた城(グスク)を築き、周辺の集落を傘下に入れ小国家へと発展。[グスク時代]
そして紆余曲折を経て琉球王国が誕生するのである!

24 : 2022/10/04(火) 02:29:17.35 ID:+i2pKyuO0
畿内説派「研究者たちのあいだでは畿内でほぼ確定してると見なされている」

九州説派「研究者たちのあいだでは九州でほぼ確定してると見なされている」

やりあえよ!それぞれの持ち場で高い塔を築きあげやがって

31 : 2022/10/04(火) 02:48:21.47 ID:Ma8og3jj0
>>24
九州説派はまとまってるように見えて実際は九州のどこに邪馬台国があったかは意見がバラバラなんでアマチュア史家が好き勝手言って自己満足する世界になってるよ
25 : 2022/10/04(火) 02:32:51.13 ID:92fJg+N60
当時の倭人は製鉄してませんでしたからね。
5世紀までしか製鉄遺跡は遡れませんし、魏志韓伝にも倭人が弁辰へ鉄を買いに来てると記載されてたでしょう

優れた鉄器技術を持った渡来人の前に先住弥生人たちは為す術もなかったのですよ

26 : 2022/10/04(火) 02:39:39.34 ID:fuLvAfXP0
詳しくないから畿内かどうかは知らんが
比叡山から見た琵琶湖京都奈良大阪滋賀の美しさは並ぶものがない
これだけの平地に都市があって水源も一望出来るんだから
ここに首都を築く気持は十分に理解できる
28 : 2022/10/04(火) 02:44:39.97 ID:92fJg+N60
延喜式には奄美訳語が登場するので、当時から日本語関西方言と奄美語じゃ口語で全然通じなかったみたいです
29 : 2022/10/04(火) 02:46:22.65 ID:znsGGn7k0
オカルト板の方が伸びそう
32 : 2022/10/04(火) 02:51:11.71 ID:L1jEOcci0
卑弥呼って卑しいヤリマンって事?まんまメスジャップじゃねーかよ(´・ω・`)
33 : 2022/10/04(火) 02:51:31.11 ID:cFVM7eO80
こいつらって縄文人なん?弥生人なん?
37 : 2022/10/04(火) 03:02:43.53 ID:92fJg+N60
>>33
縄文人でも弥生人でもなく古墳人
二段階渡来説はもう時代遅れ
今は縄文弥生古墳の三段階渡来説です

第一段階、古モンゴロイドのいわゆる縄文人。母系遺伝子から、北方と南方からやってきた二種に大別できることが分かっている。

第二段階(紀元前6世紀~)、長江や黄河、半島からやってきた弥生人

第三段階(紀元2世紀~)、半島から大挙してやってきた技術者集団の古墳人
現代人は古墳人にとても近い

レス37番の画像サムネイル

34 : 2022/10/04(火) 02:52:48.73 ID:92fJg+N60
古事記に至っては、現代では日本書紀と並び評される史書って話になってるけど、江戸時代に国学者の本居宣長が称揚するまでは軽視されてたからね
というか偽書扱いされてた
だって正史である日本書紀や続日本紀に一切登場しないんだもの

さらに古事記の序文信じるなら古事記は712年完成らしいけど、
古事記が他の文献に引かれるのは812年「弘仁私記序文」が最初なんだぜ
100年間もブランクあるわけ。古事記はあからさまにおかしい

35 : 2022/10/04(火) 02:54:03.79 ID:HHNitw3i0
スサノオは何種類ぐらい説があるんだ
火山説は分かりやすいよな
40 : 2022/10/04(火) 03:12:22.74 ID:92fJg+N60
>>35
火山説も面白いよね。ヴェーダのインドラみたいに雷説とかもある。

ただ製鉄が盛んだった辰韓(新羅のソシモリ)から来てること、スサノオが草薙の剣獲得した逸話から半島から来た製鉄氏族が元ネタなんじゃないかなと私は思ってるよ

もしかしたら日本列島でも小規模な製鉄が行われていたかもしれない(播磨あたりとかなら可能性ある)。
だとすれば鉱業は鉱毒垂れ流すし木を伐り倒しまくって自然破壊土砂災害招く。
よって素戔鳴尊は獰猛で大暴れし田畑を破壊する荒ぶる神として描かれたと

36 : 2022/10/04(火) 02:57:19.11 ID:92fJg+N60
古事記「ぼくは天皇の命令で作られました。和銅5年に奏上されました」
日本書紀&続日本紀(正史)「古事記?なにそれ全く知らん」

貴族&神道家「なら信用出来ないな。僕らは日本書紀と先代旧事本紀だけ読んでいればいいね」

本居宣長「古事記にこそ古代史の真実が書かれている!先代旧事本紀は偽書!」
国民「うぉーーーー!日本すげー!」

38 : 2022/10/04(火) 03:05:31.73 ID:80p22KXE0
邪馬壹国
台の旧字臺とは違う文字
壹与をトヨと読んでることからヤマト国と読むのが正しい
39 : 2022/10/04(火) 03:07:53.93 ID:2z/Wsg+L0
箸墓に卑弥呼が埋まってるとか、おめでたい古代妄想!
41 : 2022/10/04(火) 03:13:17.19 ID:6OaKjnpr0
なんで大陸のやつらがわざわざ畿内まで行くんだよ九州の方がちけーだろ
46 : 2022/10/04(火) 03:27:04.21 ID:92fJg+N60
>>41
まず、古代は今と違って日本海貿易が盛んであった。

その日本海日本列島沿いを北上してると放っておいても若狭湾に入る(背後に琵琶湖地峡がある若狭湾は日本海の風が若狭湾から琵琶湖に吹き抜けているため)
そこから南下すれば畿内の地
そして古代倭国内部の交易路の役割を果たしていたのは瀬戸内海。つまり畿内邪馬台の物流はバッチリ

んでもって瀬戸内海東部沿岸には、大阪平野播磨平野讃岐平野岡山平野と農業生産しやすい=人口増えやすい平野が集中している

ここが2世紀以降急速に発展するのも当然だったのだ

42 : 2022/10/04(火) 03:13:25.23 ID:WlDl5vfa0
難升米→梨迹臣
伊聲耆→伊世理

中臣氏の先祖

43 : 2022/10/04(火) 03:16:13.70 ID:92fJg+N60
韓神新羅神社とかいうど直球な名前の神社あるけど、そこも祭神はスサノオだね

また出雲市ある韓竈神社もそう
神社の説明看板には
「社名のカラカマは、朝鮮から渡来した“釜”を差すとされている。
即ちこれは、祭神の素戔鳴尊が御子神と共に新羅に渡られ、我が国に“植林法”を伝えられると共に“鉄器文化”を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。」
と記載されているよ

44 : 2022/10/04(火) 03:19:19.29 ID:CjEnKgvqM
姫巫女か日巫女かわからんけど
美少女シャーマンの女王に俺も仕えたかった
47 : 2022/10/04(火) 03:28:59.10 ID:92fJg+N60
>>44
でもシャーマンって、現代で言うところのメンヘラなんじゃないの?
48 : 2022/10/04(火) 03:35:38.77 ID:92fJg+N60
ただヤマタノオロチ伝説は地元の伝承でもなんでもないだろうね。

だって出雲国風土記に一切書かれてないんだもの。
ただ代わりに「オオナムチが『越ノ八ツ口』を征伐した」って話が書いてあるからこの伝承を朝廷が脚色しまくった結果ヤマタノオロチ伝説になったってとこでしょう

北陸に何かしらの勢力が居て、出雲に討伐されたってことです

49 : 2022/10/04(火) 03:37:25.38 ID:92fJg+N60
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)[日本書紀]
高志之八俣遠呂智(コシノヤマタオロチ)[古事記]
越の八口(コシノヤグチ)[出雲国風土記]

はて

50 : 2022/10/04(火) 03:37:50.94 ID:CjEnKgvqM
たしかにシャーマンは現代で言うメンヘラだったかも知れないが
美少女が「今年は太陽が怒り日照りになるであろう」とか「災いを退けるために異国に使者を送るべし」と言ってたら信じてしまう
ブスだったら見向きもされない
ジャンヌ・ダルクも美少女説が主張されてる
51 : 2022/10/04(火) 03:41:51.85 ID:Xujk+C/Rp
中国人がわざわざ畿内まで大回りして行くわけねーだろ。
航路も発達してないのに。
常識で考えろバカ
52 : 2022/10/04(火) 04:07:56.61 ID:YfZvmFaH0
間をとって岡山でいいだろ
53 : 2022/10/04(火) 04:24:51.33 ID:UjsFo4TB0
なお封神演義の武王が勝利した後、倭人のグループがお祝い品持ってきたというのが最古の日本文明の記録だよ
54 : 2022/10/04(火) 04:26:38.60 ID:UjsFo4TB0
九州に首都おいたら即攻め込まれそうなんだから
遷都して福岡と中国地方に防衛ライン作るに決まってるだろ
55 : 2022/10/04(火) 04:27:05.36 ID:+XqA6E5e0
近畿北部にも渡来人絡みの神話あるしなにかしらやってんだろうなとは思うけど
56 : 2022/10/04(火) 05:19:06.42 ID:n+bnA8JD0
ちょっと邪馬台国寄ってきない?
57 : 2022/10/04(火) 05:36:22.48 ID:hDsAWG7EH
現代からこう考えると都合が良い、あてはまる、とかは歴史じゃないぞ

ファンタジーな

58 : 2022/10/04(火) 06:02:26.23 ID:D5xGAPVh0
九州から出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が
あの曹操の墓に埋葬された副葬品と同型って時点で九州やろ

これ否定すると「当時の中国の皇帝から王に下賜される鏡をもらった邪馬台国以外の国」が存在したことになる
もちろんそんな国は魏志倭人伝には記されてない
あえて記さない意味もない

82 : 2022/10/04(火) 06:50:39.49 ID:TzFHSAgi0
>>58
近畿と北九州では発掘される遺物から中国との交流のレベルが段違いと分かるね
機内の王国が大和政権のルーツだと思うが邪馬台国とは別物だったんじゃないのかな
59 : 2022/10/04(火) 06:06:39.84 ID:djrI0VRI0
邪馬台国は岩手県です
61 : 2022/10/04(火) 06:18:53.34 ID:4oezyHUIM
詳しくないけれどある嫌儲メンが言ってた
畿内説は狗奴国問題が最大のネック
南だと海だしね
北九州だと熊襲がいたから問題なくなる
これはどう説明するの?
62 : 2022/10/04(火) 06:20:50.29 ID:3qIBSwWU0
奈良県桜井市にある箸墓古墳は、日本書紀が描く「倭迹迹日百襲姫命」の墓といわれています。 夫が蛇であったことに驚いて、腰を付いた時に局部に箸が刺さって死んだという伝説がこの墓の名前の由来・理由となっています。

マ●コに箸が刺さって死亡w

63 : 2022/10/04(火) 06:21:37.70 ID:7WPABE8P0
畿内説は天皇に連なる大和朝廷に権威付けさせる
政治的思惑が絡んでるのがね、
嫌儲民はもっとフラットに観る
64 : 2022/10/04(火) 06:25:09.92 ID:1u2z/b9K0
畿内は鉄器が全然出ねえからなあ
65 : 2022/10/04(火) 06:26:55.40 ID:pU7/+vG9a
あれ魏の人間は伊都国、いまの糸島までしか来てなかったらしいな。
それ以降は聞いたことを書いただけ。
そんなのどこにあろうと大して意味がない。
なんなら糸島にあったと言ってもいいだろう。邪馬台国っていう連合の内なんだから。
66 : 2022/10/04(火) 06:28:01.19 ID:pU7/+vG9a
実際に存在する場所があるのにそれに目を向けないのは
頭おかしいとおもうよ。
67 : 2022/10/04(火) 06:28:41.85 ID:pU7/+vG9a
まあ実際に糸島みれば夢も幻想も何もない。
ただの田舎だけどな。しかも糸島は雰囲気が暗い。
空気が淀んでる。
68 : 2022/10/04(火) 06:30:22.00 ID:pU7/+vG9a
すごいカルト宗教信者と似てるんだよ「邪馬台国」って。
糸島みりゃ夢の国なんてない、ただの田舎でしかないのに
邪馬台国だけ何か夢の国があったかのように現実逃避する。

その姿をまず恥じたほうがいいよ。ほんとうに知能が低いからそういうのって。

69 : 2022/10/04(火) 06:30:43.49 ID:9Hd4rHV90
もともと平原古墳あたりにいた勢力の一部が、大陸半島の動乱(黄巾の乱など)を受けて防衛のため(というより逃げて)備讃瀬戸内へ、さらに尾張や出雲の勢力を合わせて防衛力の高い畿内に入った(神武東征の神話のもと)。それが崇神たるミマキイリヒコと卑弥呼たるモモソ姫のコンビといったところだと思う。
70 : 2022/10/04(火) 06:31:14.34 ID:pU7/+vG9a
ちなみに福岡市が奴国だけど、おなじように夢の国はないから。
71 : 2022/10/04(火) 06:32:19.41 ID:pU7/+vG9a
知能が低いんだよ。
歴史ってそれが顕著に現れる。
でも本人は嫌儲の自覚がない。
72 : 2022/10/04(火) 06:33:03.03 ID:pU7/+vG9a
おまえら見てると発達ガ●ジ騙して金稼ぐの簡単だろうなとおもうよ。
73 : 2022/10/04(火) 06:36:39.81 ID:1u2z/b9K0
金印の委奴ってイド→伊都→糸島
当時一番の大勢力だった伊都が邪馬台国だよ
74 : 2022/10/04(火) 06:42:08.75 ID:75yusN7ya
百襲姫って
恥女のAVみたいだな🤔
75 : 2022/10/04(火) 06:42:18.14 ID:SDnV84L/0
邪馬台国はどこにあった?
1魏志倭人伝にある邪馬台国(ヤマタイコク)はどこにあったのでしょうか?

 昨年、魏志倭人伝の中の卑弥呼を、ホツマツタヱの記述と照らし合わせたとき、明快に「ヤマト姫ヨシコ」であることが確認できました。

 今まで、卑弥呼が誰であるか探せ出せなかったのは、多くの方の誰もが卑弥呼を個人名と思い込んでいたからと思われます。 個人名ではなく、今でいう役職名であったと考え直すと、答えが待っていたかのように一瞬のうちに見つかったのです。

77 : 2022/10/04(火) 06:42:47.42 ID:SDnV84L/0
そこで「ヤマタ・山田」とは、山の宝ととらえることが出来ると思います。
山の宝とは、「金」を意味していたのだと理解できます。
邪馬台国=山の宝のある国=金のある国=黄金の国・ジパングと、当時の海外から呼ばれていたと思われます。

 よって、この「ヤマト姫ヨシコ」の居られたところが、魏志倭人伝でいうところの邪馬台国の中心であったと思われます。後の斎宮(イツキノミヤ)になります。この時、実際の政治を執られていたのは纏向遺跡・マキムキ日代の「景行天皇」になりますが、国内の乱れを糺すため、九州はじめ全国を飛び回っていました。「ヤマト姫ヨシコ」に報告されていた記述もあり、留守を預かっていたことも納得できます。

79 : 2022/10/04(火) 06:43:12.46 ID:SDnV84L/0
山田という地名のある所は、日本国内のほとんど全てといって良いほど、金山・鉱山が近くに存在していたと思われます。
 日高見地方にも金が採掘されていたと思われる山田条理遺跡があり、近くには金華山もあり、ヤマトタケがエミシ征伐に行った帰りに黄金10斤を賜ったことから、以前はここが邪馬台国ではないかと思っていたことがありました。

 三重県の伊勢市にも山田という地名が存在し、宇治山田という駅名もあります。斎宮跡が近くの三重県多気郡で見つかったことからも、この付近が魏志倭人伝で述べている邪馬台国の候補の一つではないかと思います。
また、別の見方ですが、日本列島のあちこちに点在する金山を全て総括して邪馬台国・ジパングととらえていたとも

80 : 2022/10/04(火) 06:43:25.06 ID:SDnV84L/0
ホツマツタヱの存在をご存じない方は、邪馬台国・あるいは女王国が九州にあったと考えている方がいらっしゃいます。景行天皇が九州を一周されたとき、女王国が「みね」にありという記述がホツマツタヱの中にあます。

 現在の吉野ヶ里遺跡付近に「三根」という地名が残っています。まさに女王国であったと思われます。女王は「ヤツメヒメカミ」と言い、漢字に置き換えてみると「八女姫神」となり、現在の「八女・やめ」に引き継がれていると考えられます。北九州を既に支配していたと思われます。
 景行天皇はこの場所を避けて通りぬけており、急いで瀬戸内海経由で帰国し、ホツマツタヱを編纂させています。このとき、すでに渡来勢力の流れを感じ取ったものと思われます。

81 : 2022/10/04(火) 06:43:56.33 ID:SDnV84L/0
神武天皇以前のヒコホホデミの時までは、瀬戸内海経由ではなく、日本海を海流にのって、志賀の浦(福岡市志賀島・金印が発見)より、北の津(今の敦賀)に到着していました。
 当時、「おおかめ」(大亀舟)ならば、一か月以上、「かも」(鴨舟)ならば、約一月で、「おおわに」(大鰐舟)ならば、ささっと早く着くという記述があります。日本海の沿岸も渡来勢力とぶつかり合うため、瀬戸内海を通行せざるをえなくなっていたことがうかがえます。

よって、景行天皇の行動より、九州を治めていたとされる女王と、卑弥呼とは全く別人であることがはっきりします。

83 : 2022/10/04(火) 06:52:21.33 ID:PeJPZVNZ0
13歳の少女が王になった途端に内乱が終わる
HENTAI国家

お前らはその遺伝子を受け継いでんだぞ
もっと誇りを持て

84 : 2022/10/04(火) 06:59:31.02 ID:4HvtSMhJ0
渡来人→try人→挑戦人→朝鮮人
こういうのもっと教えてくれ

コメント

タイトルとURLをコピーしました